Sylvie Yasminaが最後に外の空気を自由に吸ったのは、2014年のことだったらしい。それから12年、パキスタン北西部の山岳州カイバル・パフトゥンフワーの片隅にある一室で、54歳のフランス人女性と5人の子供たちは外界と完全に切り離されていた。救出のきっかけは警察でも支援団体でもなく、息子の一人が家を抜け出してこっそり警察署に駆け込んだことだった。
長男が命懸けで抜け出した夜、母は何をしていたか
2026年6月、パキスタン警察が急襲したバラの家屋で発見されたのは、狭く荒廃した一室で身を寄せ合う母子だった。全員の体に打撲のあざがあったと警察は説明している。
「私たちは自由を奪われていた。夫は夫として、子供たちの父親として当然果たすべき責任を果たさず、毎日殴り、生活に圧力をかけ続けた。自分の未来はもう終わったと感じていたし、子供たちの未来も同じように潰されると思っていた」——Sylvie Yasminaが警察に提出した供述書より
上の2人の子供はオーストラリアで生まれ、パキスタン移住後に学校へ通う機会を完全に失った。下の3人はパキスタン生まれで、一度も学校に入ったことがない。12年分の教育の空白がそこにある。
「不法在留のパキスタン人」と出会ったのはオーストラリアだった
夫婦の出会いは2003年のオーストラリア。BBCによれば、夫はその当時不法在留状態だったとされている。2人は結婚し、11年間オーストラリアで暮らした後、2014年に夫の出身地へ移住した。ヤスミナにとって、その移住が事実上の監禁の始まりだったことになる。
Domestic abuse Pakistanの文脈で見ると、今回の事件は特異ではあるものの孤立したケースではない。カイバル・パフトゥンフワー州のような農村・山岳地帯では、女性が家庭内暴力を訴える手段そのものが限られている。外国籍であれば言語の壁、社会的ネットワークのなさが重なり、逃げ場はさらに狭まる。
ヤスミナと子供たちは現在、ペシャワール市内の女性シェルターに保護されている。警察はフランスへの帰国を支援する方向で動いているという。夫はパキスタン当局に逮捕されたが、氏名は現時点で公表されていない。
この先どうなる
ヤスミナ母子がフランスへ戻ったとして、課題は山積みだ。12年間の空白を抱えた子供たちへの教育的・心理的支援、フランスの社会保障システムへの再接続、そして長年の家庭内暴力が残したトラウマのケア。Sylvie Yasminaのケースはフランス外務省の対応も問われることになるだろう。一方パキスタン側では、Khyber Pakhtunkhwa captivityをめぐる国際的な注目が、同州の家庭内暴力対応の制度改善につながるかどうかが焦点になる。外国人女性が被害者となったこの事件を機に、国際的な人身保護の観点から何らかの議論が起きる可能性はある。ただ、12年という時間は戻らない。