ハンタウイルスに感染した乗客たちは、すでに自分の国へ帰っている。北極圏クルーズ船「MV ホンディウス」で発生した集団感染がカナリア諸島寄港後に発覚したとき、封じ込めに使える時間はほぼ残っていなかった。ニューヨーク・タイムズが報じたこの事案、調べるほど「なぜ防げなかったのか」という疑問が積み上がっていく。

致死率40%のウイルスが「密室」で広がった経緯

ハンタウイルスは感染した齧歯類の排泄物や唾液が乾燥して空気中に漂い、それを人が吸い込むことで感染する。人から人への直接感染は基本的に起きないとされてきたが、船という密閉空間では話が変わってくる。換気システムが共有され、乗客の動線が限られるクルーズ船の構造は、ウイルスにとってかなり都合のいい環境だったとも言える。

重症化すると肺や腎臓に深刻なダメージを与え、致死率は最大40%。現時点で確立された特効薬はなく、治療は対症療法が中心だ。感染から発症までの潜伏期間は1〜8週間と幅があり、これが今回の発覚遅れにも絡んでいたとみられる。

「MV ホンディウスで発生したハンタウイルスのアウトブレイクは、コロナ禍のトラウマが癒えない世界に警戒警報を発した。乗船者にとって、その危険ははるかに身近なものだった。」(ニューヨーク・タイムズ)

MV Hondius クルーズ船はオランダの運航会社オーシャンワイドエクスペディションズが使用する砕氷船で、北極・南極域への探検クルーズで知られている。今回のアウトブレイクがどの寄港地で感染が始まったのか、現時点では特定されていないらしい。

空港検疫が機能しなかった理由、3つのギャップ

まず潜伏期間の問題。寄港時に症状がなければ検疫で引っかからない。次に、ハンタウイルスは現行の標準的な感染症監視リストで優先度が低く、港や空港での検査体制が整っていない国が大半だ。そして3つ目、クルーズ船の乗客は複数の国籍が混在しており、下船後の追跡管理が著しく難しい。

コロナ禍でWHOや各国保健当局が整備した国際監視ネットワークは、主に飛沫感染型の呼吸器系ウイルスを想定したものが多い。齧歯類由来の感染症に対しては、依然として盲点が残っているのが実情だろう。感染症アウトブレイクの対応は「次の感染症」ではなく「今の感染症」に引きずられがちで、そのギャップを今回の事案がはっきり示した形になった。

この先どうなる

WHOおよび欧州疾病予防管理センター(ECDC)が乗客の追跡調査に乗り出しているとみられるが、全員の健康状態を把握するには数週間かかる見通しだ。今後、帰国した各国で二次感染が確認されるかどうかが最大の注目点になる。クルーズ船業界に対しては、乗客の医療申告義務の強化や船内齧歯類モニタリングの導入を求める声が出てくるはずで、運航会社側の対応が問われる局面はしばらく続きそうだ。コロナが残した「次は何が来るか」という感覚を、MV Hondius クルーズ船の事案がまた一段と刺激してしまった——そんな夏になりそうだ。