イスラエル世論の多数が「これは何のためだったのか」と自問している——NYTが報じた世論調査の結果は、戦闘終結後の空気をそのまま映し出していた。イランへの軍事作戦は実行された。でも政権は残り、核施設も生きている。
イスラエル市民が「勝利」と呼べない3つの理由
調べてみると、今回の作戦で達成された目標はかなり限定的だったらしい。イラン指導部の交代なし、核開発の停止なし、弾道ミサイルの無力化なし。軍事的には「打撃を与えた」と言えても、脅威の根を断つには遠く及ばなかった。
ガザ、ヒズボラ、そして今回のイラン。イスラエル社会はここ数年、ほぼ連続して戦時モードに置かれてきた。予備役の動員、日常的なミサイル警報、経済の停滞——その積み重ねが世論に静かに効いている。「また次の戦争が来る」という諦念が、勝利の物語を上書きしてしまっている格好だ。
「イランの政権は変わっておらず、核・ミサイル脅威も排除されていない。多くのイスラエル人は『これは一体何のためだったのか』と自問している」(The New York Times)
ネタニヤフ首相にとってもこれは痛い。軍事行動を決断した指導者として「成果」を示せなければ、国内での正統性は削られるばかりだ。支持率の揺らぎはすでに始まっているとも伝えられている。
軍事力だけでは止まらない——イラン核開発が突きつける現実
ここが引っかかった点でもあるんだが、イスラエルはこれまでも「先制攻撃→抑止→次の脅威」というサイクルを繰り返してきた。2007年のシリア核施設爆撃はそれなりに機能したかもしれない。でもイランの場合、核関連施設は地下深くに分散しており、空爆だけで完全に破壊するのは技術的にほぼ不可能とされてきた。
中東安全保障の専門家の間では以前から、「軍事的手段で時計を巻き戻せても、プログラムそのものは消せない」という見方が根強い。人材も技術も、破壊しきれないまま残る。今回の作戦はその限界をあらためて可視化した、とも言えそうだ。
イラン核開発をめぐる問題は、軍事と外交と国際的な監視体制が複雑に絡み合っている。イスラエル単独の行動で解決できる問題ではなかった——という評価が、今後さらに広がっていくんじゃないかとみられている。
この先どうなる
当面の焦点は二つ。国内では、ネタニヤフ政権が「不完全な勝利」をどう説明し続けるか。司法改革問題に加えて今回の作戦への疑問も重なれば、政権基盤は一段と揺らぎかねない。
対外的には、アメリカやヨーロッパがイランとの外交的枠組みを再び模索するかどうかが鍵になってくる。軍事的圧力だけでは動かなかったイランに対して、何らかの交渉チャンネルが開くのか——あるいは次の緊張サイクルへと静かに移行していくのか。イスラエル世論が「疲弊」から「怒り」に変わるとき、中東の空気は再び動き出す可能性がある。