イスラエル世論調査の結果が、戦後の「空虚な勝利」を可視化した。ニューヨーク・タイムズが報じた調査によれば、イランとの武力衝突が一段落したにもかかわらず、多くのイスラエル市民が「勝った」という実感を持てないと答えている。数字だけ見れば交戦は収束した。でも肝心なものが残ったまま——それがイスラエル社会に広がるモヤの正体らしい。
イラン核開発もミサイルも、「作戦前」と何が変わったのか
開戦前にイスラエルが掲げていた目標は、大きく二つあった。イランの核開発プログラムの無力化と、弾道ミサイル能力の解体だ。ところが現時点でどちらも達成されていない。イランの政権は倒れず、ウラン濃縮施設の主要部分は残存しているとされる。
ここが引っかかった点だった。軍事作戦としての「打撃」は与えたかもしれない。だが核・ミサイルという非対称戦力の根っこは切れていない。戦略目標と実際の戦果の間に、大きな乖離がある——そう受け止めているイスラエル市民が少なくないわけだ。
「イランの政権は変わらず、核・ミサイルの脅威も排除されていない。多くのイスラエル国民が『一体何のための戦争だったのか』と自問している」(ニューヨーク・タイムズ)
この問いは感情論じゃない。中東安全保障の観点から見ても、イランが核開発能力を温存したまま次のフェーズに進む可能性は排除できない。作戦が終わったとしても、リスクカウンターはゼロに戻っていないってことだ。
ガザ・レバノン・イランと続いた消耗戦が、社会を引き裂いた
イスラエル社会が直面しているのは、軍事的な問いだけじゃない。ガザ、レバノン、そしてイランと続く連続的な軍事行動は、国内の政治的分断をじわじわと深めてきた。
予備役の動員は長期化し、人的・経済的コストは積み上がる一方だった。「誰のための戦争か」「なぜ停戦しないのか」という声と、「妥協は安全保障の崩壊を招く」という声が、社会の中でぶつかり続けてきた経緯がある。
世論調査が示す「勝利感の欠如」は、その疲弊の結果とも読める。軍が動いた、相手に打撃を与えた——それでも何かが足りない、という感覚。それがいま、イスラエル国内の亀裂として表に出てきたのかもしれない。
この先どうなる
最も不確実なのは、イランが核開発をどのペースで再開・加速するかだろう。施設へのダメージが限定的であれば、復旧は思ったより早い可能性もある。国際原子力機関(IAEA)の査察体制も機能しているとは言い難い状況が続いており、イラン核開発をめぐる外交的手詰まりは解消されていない。
一方でイスラエル国内では、ネタニヤフ政権への政治的圧力が増す局面が続きそうだ。世論の支持なき軍事行動は持続しにくい。次の一手が「外交」なのか「再攻撃」なのかで、中東安全保障の地図はまた塗り替わる。答えが出るまで、しばらくかかりそうだ。